プリズム

私の頭の中が分かるブログ。何も隠さない。何も飾らない。

スッッッキリ✨

言いたい事は半分しか言えなかったけど、言えた。

前に進めた。

良かったーーー!

あぁいつも言い逃げなんだよな。

悪い事したなぁ…いつもいつも。

でもいいんだ。結末は見えてた。

何にもならないって事は分かってた。

何にもならないから、駒を進めるのは私なんだ。

 

あぁ、スッキリ爽快。

 

ちゃんと(?)お礼も言えました。

ありがとうって。

あれ、私ちゃんと喋れてたかな?(笑)

 

何も進めることすら出来なかった、何をどう探せば良いか分からなかった、無知で、埃のように漂っていた私に指針をくれました。

指針って大仰な(笑)って思う。

 

抽象的に言うなら

「あっちにも道があるよ」って言われただけ。

私は、「本当だ、真っ暗じゃないんだ。進めるね。教えてくれてありがとう」

ってやりとりしただけの感触。

 

 

誰かに大きなキッカケを与える側の人は、その事に大抵気付かないものだ。

その自然さが良いなって思う。

 偶然は必然なんだなって確信出来る。

 

むしろ意識して与える事は難しい。マインドコントロールになりかねない。いかに相手と適切な距離を保てるかが一番重要。

 

 

 

ほんと、何から何まで迷惑掛けて…って思ってたのに。なぁ。

一生に一度で最後の出会いでした。

 

本当に、良かった。

貴重だったなぁ。

 

 

『零れるままの涙を見て分かった

嬉しくて泣くのは 悲しくて笑うのは

僕の心が 僕を追い越したんだよ。』

 

君の名は。」の挿入歌の一節。

今年は何度も追い抜かされました。

そして、ついこの前この歌を初めて聴いて、エンドロールで気付いた。

 

あっ、やっぱりだめなんだ。このままじゃ。

進めない。何も出来ない。私はいつまでもグジグジしたままだ。

どうしたらいい?考えろ、考えろ。

曖昧にしたものはなんだ?

いつまで棚に上げてるつもりだ?

シャキッとしろ!!!

結論が見えてたものを見たくなかった。

いつまでも痛みを恐れて、縮こまっていては何も進まない。目を開け、恐れるな。欲に貪欲になれ。

 

 

と葛藤する事、1日。

(一時期に比べれば早くなった方w)

 

何も隠さず言いたい事を言った。

 

言いたかった事を一方的に言った。

これは今までの私では出来なかった。

なんかゴニャゴニャ考えて何もしないのがこれまでの私。

 

変わる。

 

変わりたかった。

憧れていた。"幸せ"というものに。

だけどこれも違う。

誰かと似てる幸せが欲しいんじゃない。

 

"憧れる"とはなんだろう。

"幸せ"とはなんだろう。

 

誰にも似ない幸せって?考えよう。

新しい課題が出来た。

あぁ、楽しいな。変われることが楽しい。

真っ暗じゃないんだ。

あれが好き、これが好き

歳を重ねるにつれて、だんだん言えなくなってくる。

「あれが好き、これが好き」

周りの、しかも人間じゃなくて、情報という大数の法則に左右されて欲をセーブしてしまう。

 

私なんか前は特にこれが激しくて、むしろ無意識にしてて厄介だった。

他人に期待してないっていう過去のトラウマがなぁ。

己を隠すようになったんだ。

 

己を隠すことは意外と簡単で、単に喋らなければいいだけ。

他人に合わせて、たまに質問して、へーそう、とかって聞いてればいいだけ。

適当にはあしらってない。本当に面白ければ聞くし。何も考えて無いだけ。

根本的に言えば、他人に興味がないから。

 

 

だって、私をさらけ出して何の得があるのか。

みんなきっと聞いたら、手に負えねぇって思う。

私に踏み込ませて途中で諦められるくらいなら最初から踏み込ませない。

見せなくてもいい面もある。

 

タイミングの悪さで発覚したら、まぁ説明はするけど基本的に見せない。

むしろ説明出来るほど私が心を開いているのなら尚更これ以上は見せない。

 

私の手で掴んだ縁が切られたら悲し過ぎて仕方なくなる。

私には何も無いから。

愛情も、家族も。何も知らない。

私が私で掴んだものしか、持ってない。

他人に興味が無いくせに、掴んだものは離したくない。傲慢で怠惰で陰湿で、どうしようもない人間だった。

 

 

でも今年は、そんな私を変える色々な出来事があった。

本当に貴重だった。

とても1年間の間では起こりえないくらいの出来事が、ギュッッッと詰まってた。

漫画のような出来事の連続。

あれ、むしろ人生って一つの漫画じゃない?みたいに感じる程の密度。

 

人生が漫画みたいって?頭がおかしくなってるって思う?

むしろ人生って本当に奇跡の連続だから。

でも奇跡ってこんな短期間で来る?みたいな大変さだった。

でも私には合ってた。ダラダラくるより、すっぱりスピーディーに、簡潔に訪れた。

 

 

自分がいかに周りに恵まれているかを知った。

その為にひたすら自分は自分を信じていて、真っ直ぐに進める力がある事を知った。

恵まれているという事は、つまり自分のした事が返って来ていることだなと知った。

 

 

私は誰かを導く人だと思った。

それは驕りでもなく、自惚れている訳でも無い。

先導して誰かを導く人ではなく、私は私のままで真っ直ぐに生きていれば、私を見た人は自ずと何か見えてくる、そんな人。

 

誰かが言ってた。みんな答えは見えてるのに敢えて相談するって。自分の答えを確かめたいんだよね。

女性によくある、服を他人に選ばせてみると同じ。結論は出てるのに聞く。不安だから。

 

私は良くも悪くも記憶力がズバ抜けていて、私が人の考えを想像したり気持ちに寄り添ったり出来るのは、何か理由があるのでは無いかと思った。

馬鹿みたいに真っ直ぐにしか進めない性格も。

 

 

全部上手くできる訳では無い。

でも、体や頭が勝手に動く。何か動物的直感がある。絶対上手くいくって分かる時がある。

 

悩みながら決断する姿とか、失敗しながら進んでいく私の姿に、気付く人は気付いてくれる。

多分、拙くも生きている姿に自分を重ねる時が来ると、私が前に通った道が見えてきて、あぁ、こんなのもあったなって思えるキッカケが私なのかなって思った。

 

今は、そうそう相談なんてされないけど。

憧れなんてされないけど。実績だってない。

でも何に対しても存在理由はある。

物でも人でも出来事にも。

 

小さな出来事にすら存在理由があるなんて、なんて素敵なんだと思える自分がここにいる。

そうだ、私はこのままでいいんだなっていう事だけ分かればいいかなって思う。

 

苦労しかしてないんじゃないかって思う事もあったけど、でもそれがあるから今の私がいられると気付いた事はとても良かった。

 

2016年の目標のひとつが、

「素直になりたい」だった。

 

もう、なれてる。ありがとう。

この29歳にこの目標が達成できて良かった。

ありがとう。

 

ずっと好きなまま

好きなのに、好きと表現出来なくてそのままになってる人がいる。

きっと、普通の人からすれば「後の祭り」とか「いえばいいのに」って思われるんだろうな。

そんな簡単に出来たら悩んでないって。

 

私には難しい。

何度も、何度も「ダメだなんて事ない」「大丈夫」って考えたよ。

でも体が動かない。頭が動かない。

何も動かないんだよ。

 

1人になってから、やっと与えられた優しさに気付く。他の人とは少し扱いの違う優しさに。

あれやこれやの行動はもしかしてって考える。

そんな事ないかも、偶然かも、単にみんなに優しい人かも。

この無限ループ。

 

で、だんだん会えなくなって、久しぶりに逢えるタイミングの前で、私は一つの結論に達した。

 

人を好きになるって、どういう事だろうか。

気が合うからいつも一緒にいたい?

 

その頃は、隣に居られれば良かった。居心地が良いから。

でも、なんか違う。そういう事じゃない。

 

 

あの人は、今日は悲しくなるような事は起こっていないだろうか。

苦しんでいないだろうか。辛くないだろうか。

 

毎日笑っていてほしいな。

 

あぁ、そうか、これが答えか。と気付いた。

人を好きになるって事は、その人の幸せを願う事なんだ。自分がどう思うって事ではなくて、どうしようもなく相手が気になって仕方なくて、ついには幸せさえ願ってしまう病気なんだな(笑)って思った。

 

お互いがそう想い合ったりする事が、愛しあう事なんだなって、理解した。

 

 

あの人にとって、今日は楽しい1日だったかな。

どうか、悲しいことや辛いことに苛まれず、幸せに毎日を過ごしていてほしい。

隣に私はいなくていいから。

笑顔で過ごしてほしいな。

私はその笑顔が1番好きなんだ。

どうかその笑顔が曇るような事が起こりませんように。

 

カッコつけてるよりも、クシャッとした笑顔が好き。なかなか直視はできなかったけど、遠くで目が合うといつもクシャッと笑ってくれた気がする。あれ、最初だけだったかな。

後半は私が避けてた気がする。

 

いつも短い時間しか会わなかったのに、その間はずっと隣にいた気がする。

でも隣にいても何も喋らない。

話しかけてもすぐ会話は終わってしまう。その癖ずっと隣にいる。

最初は、何で楽しくなさそうなのに隣にいるんだろうと思った。

違うんだね、いる事が重要だったのかもね。

別れ際はよく喋ってくれた気がする。

終わりが近づくとさみしかったのかな。

私もすごく楽しかったし、さみしかった。

 

勘違いかもしれない。

ずっとそう思っていた。だって勘違いしたら恥ずかしいもん。

 

困り事は超高速で対応してくれた気がする。

そんなに急がなくてもいいのに(笑)ってくらい。

 

好きって言えば良かったのかな。

でも今まで叶わない告白はした事あるけど、これはなんかもう前提が違った。

どうせダメなんだろうと結論が明確に出ていた告白と違って、これは私の方の気持ちが違った。

好きだなぁっていう気持ちを伝えたいんじゃ無かった。

 

確認事項。

 

その確認事項が徒労に終わったら、と思うとそれが一番恐かった。

 

でもきっと、確認にも至らず終わるんだろうなっていう直感もあった。

あぁ、何かを閉鎖されてる。どうしてだろう。

嫌われたのかな。

 

嫌われたのなら、仕方ないか。

 

でも、私は嫌いになる理由が無い。

だったら、ずっと好きなままでいよう。

気持ちなんて伝える事に意味は感じない。

私はこんなに人を好きになれる自分を発見できて、本当に良かったと感じている。

好きでいる事が幸せと感じる。

この好きを変えるような人が現れれば良いけど、今の所ズバ抜けて一途にその人が好きなので、まぁまだ無いでしょう。

 

初めて出逢ってから5ヶ月で、人を好きになる事、人を愛するっていう事を学べたのは物凄く貴重で、楽しくて、辛くて、泣いたけど、でも凄く良かった。

最も人間らしく過ごせた。

 

もう1回くらい、動く姿でも見たかったな。

一体誰が読むんだろ?

今の感触としては、渋谷のスクランブル交差点で誰にも気付かれずに大声出して自分の言いたい事を言ってる気分。

誰にも気付かれない。誰も気にしない。

なんて清々しいんだろう。

これは一体誰が読むんだろう?って思ったけど、別に誰も読まなくてもいいんだ。

アウトプットの練習だから。

 

好きなだけ書くし、書かないし。

ここに辿り着く人は、きっと何かしら私に興味を持って、且つわざわざ検索しないと来れないような感じにした。本当にそうできているかはわからない。

ネットワーク系のSEじゃないからなぁ。

 

誰か見てる?私はこんな人です。

壁にぶつかりまくってボロっボロになりながらも楽しく人生歩んでます。

沢山苦しんだ分、いつも沢山楽しんでます。

天性のタフ人間であり、脆弱な人間でもあります。

私は双子座。常に2つの顔があります。

覚えながら喋り、喋りながら違う事を考えます。

あれ、顔は2つどころじゃないかもしれない(笑)

 

ここはでも、楽しい場所ではありません。

言葉と気持ちの死に行く所、そして生まれる場所です。

 

どうぞ好きなだけ、でも無理せずにご覧下さいな。

目が覚める前

私は、絵に描いたような、まるで漫画ネタになるような「一般的不幸」な生い立ちだ。

 

まずは両親の離婚。

これは私の世代ではよくある話で、いわゆる不仲ってヤツが原因で離婚に至ったのかな。

今思えば、小学校に上がる少し前から、両親ともに歯車が狂い始めていたのは幼心に感じていた。もう元には戻らない事も。分かっていたのかな。

 

なのに私は未だに新姓のままだ。

これは、推測するに、母親も私と同じような境遇で、苗字が変わる事で何か嫌な思い出でもあるのではと思っている。

それか離婚してないか?だろうな。

まぁ、その部分に関してはあまり関心はない。

 

今でも覚えてる。父親が母親に手をあげたのだ。

その時私は母親に泣きついた。

「どっちがいい?」みたいな事を聞かれた。

「母親がいい」と、そんなような事を言ったのだろう。

その日が決定的なものになった。

 

離婚(?)する前から、母親は働いていた。

万引きGメンだった。夕方のテレビで取り上げられる前からそうだった。

多分好きな仕事だったんだろうな。

 

こう書くと、母親はシングルマザーで一生懸命働いて娘を食わせるために…みたいな感動ストーリーになるかと思いきや、ところがどっこいなんですよ。

 

母親は、基本的に好きな事を好きなだけしてるような人。

家に帰ったらご飯は作るけど、基本的にその他何もしない。テレビを見たり好きな事をしていた。

陰気な感じはなくて、常に明るい人だった。

でも好きな事しかしない。

 

仕事の帰宅時間も21時過ぎたり23時近くだったり。

金もないのに、給料日は早々に好きなものにお金使って、月末にはお金が足りなくなるから、祖父母にお金を無心して。

たまにめんどくさくなるのかプライドが邪魔するのか、公共料金の支払いも滞納していた。

支払いはよく祖父母がしていた。

 

真っ暗な部屋に帰った事は何度もある。

ロウソク立ててやり過ごすなんてどこの古いドラマでやってんだって話。

 

人として本当にダメな母親だったから、祖父母も呆れながらサポートしていた。

 

ある日、学校でお裁縫を買いましょうって言うプリントを貰った。あぁ、これ母親に見繕ってもらわないとわかんないやつかなーと思ってた。

 

持って帰ってきたプリントを片手に、休日に寝こけてる母親を見て、ふと、こう思った。

「この人に頼ってたら、何も変わらない。このままだ。この先期待しても何も得られない。私が、考えて決めなければいけないんだ」

 

これをたった10歳の子供が考え至ったと言ったら。

世の中はなんて残酷なんだろうと今では思う。

自分のことですら他人事に考えしまう癖も、ここから始まったと思う。

 

プリントには、必要そうなものを考えて決めてお小遣いを入れた(多分祖父母からの小遣い)

 

それから、誰にも頼らなくなった。

「あれが欲しい」とかも言わなくなった。

「どこに行きたい」とかも言わなくなった。

 

だって期待してないから。

楽しくないから。あなたと行動して何が楽しいの?

調子のいい時だけ擦り寄るな。近づくな。お前なんかに私の何がわかる。

 

私の心がこじれるのは簡単だった。

 

 

私は、何か問題が起きた時は、人のせいにしない。というか出来ない。

自分で選択してきたものは、全部自分のせいだと思ってる。自分の責任の上でここにいるんだと。

 

「頼らなく」なると、「頼れなく」なる。

もう、本当に自然と。

 

 

こんなにこじれてると(笑)、さぞ打たれ弱いダメ人間になるかと思いきや、私は天性のタフ人間だったのでそうはならなかった。

 

自分の信念はまっすぐに、小さな不正も嫌い、人には基本的に地母神精神で接し、ある程度自己主張する。

親しい友達には「よくそんな境遇でまっすぐ育ったもんだw」と言われる。

普通は、不幸感漂わせ「聞いて聞いて〜私可哀想な子なの〜、ウフ」とかKY女子に大半はなるもんだけど。

 

誰かが、そういう人は神様だと言った。

神様は、永遠の孤独をなぞる存在だと思ってる。

 

タフ人間には、なるしかなかった。

例えるなら1本の棒が、どこにもぶつからないように立っているのと同じ。

どこにも傾倒しないからまっすぐに見える。

周りは磁石のN極。私もN極。反発し合ってた。

 

そうやって20年間、私は生きてきた。

変化

今年(2016年)の4月頃まで、機械の様な、繰り返し終わりのないローテーションの日々を送っていました。
決められた一定ルートを、ただひたすらにグルグル回る。毎日、毎日。

機械の中にいるのは、生身の人間。それがわたし。
機械のスキマから見える外の世界を、ただの「外の世界、私とは関係ない世界」として見ていた。


でも、ずっと見ているうちにおもった。

このままでは何も変わらない。

分かってはいても行動出来なかった。
興味がなかった。

外の世界はフィクションで、テレビの中の世界と同じ印象だった。"しあわせ"なんて全てフィクションだと。
こんな事は私に起こるはずがないと。

食卓に肘ついて無心でテレビを見てる子供のように、本当に他人事だと思っていた。


叶うはずのない願いや望みは、そもそも期待していなかった。
期待してうまくいかなかったら?
誰が助けてくれるの。誰も助けない。他人は私に興味が無いから。無関心だから。
無関心が1番恐い。

端的に言えば、こういう事を悟るような人生を歩んできたのです。

こういう考えを持っている私は「可哀想な子」なのかな?

何がどうなって可哀想なんだろう。

ほんとうに、キョトンとする位分からない。

 

 

悲しくはない。悲しさや寂しさは置いてきた。

囚われていては、いつまでも何も進まないから。

私にとっては、全てもうただの事実。現実。過去。

 

そんな時、少しだけ、機械から出てみたくなる事が起きた。私は機械を開けて近付いてみた。

生身の私は、何も考えず進んでみた。
そして落ちそうになった。
目先のキラキラとした景色が羨ましくて、自分がこんなにも憧れていた世界に触れられるのかと思って。その中にある怖い部分を見ないようにして、放置してしまった。
やがてそれは肥大し、私を蝕み、鎖のような蛇が全身に絡みついたみたいだった。身動き一つ取れなくなっていった。
がんじがらめの身体のまま、坂を転げ落ちていく感覚。

あぁ、このまま動けないままなのかな。それはやだな。恐い。

そう思った時に、私はやっと人を頼って何とか落ちずに済んだ。

こうなった原因としては、1人で解決しようとしたから。
解決出来るわけなかった。「無知」だったから。
でも、人を頼るっていう選択肢に至らなかった。
そういう選択肢を1度も選んでこなかったから。

落ちそうになったあとに、悟った。
このままじゃ駄目なんだな。動かないといけない。
この身を守っていた場所には戻っちゃ駄目なんだ。戻れない。
もう、現実だろうがフィクションだろうが進まなきゃならない。
自分で進まなきゃ、何も得られない。
進みたい。見えないものに興味が出てきたから。
自分が他人に興味を持てば良いんだと。

実際落ちそうにはなったけれど、本当に良い経験だったと今では思う。
だって、こうでもしないと私は多分わからなかったから。本当に馬鹿だから。
苦しい思いはしたけれど、苦しんだ分の何かは見えた。

こういう風に、時間をかければなんでも受け入れられる自分も凄いと思えた。成長はしてる。
でも時間を掛けて苦しまないと受け入れられないんだっていう不器用さにも気付いた。


いろいろ動いていかなきゃなぁとは思うのだけど、今現在は思うように動けない。
もともとあった柵(しがらみ)が多くて、これらを解決しないと自由になれない。

親族、仕事、自分の過去。

 

ももクロの曲に「白金の夜明け」って曲がある。これがまさに、この時の心情にピッタリなんだ。なんで私の事が分かるの?って思っちゃうほど(笑)

歌って凄いなぁ。
歌もひとつの出逢いだなって思う。

 

私は、自由になりたい。

しがらみなんて感じない所に辿り着きたい。

カゴの中の鳥になんてならない。

いつでも笑っていたい。楽しくて楽しくて仕方ない位に。

笑顔は最強の矛盾だ。

 

私は、私を守っていた機械を捨てた。

生身で、弱くて、傷付きやすい私だけど、生まれ持ったこの最強タフ精神で何度でも立ち上がってやる。