目が覚める前
私は、絵に描いたような、まるで漫画ネタになるような「一般的不幸」な生い立ちだ。
まずは両親の離婚。
これは私の世代ではよくある話で、いわゆる不仲ってヤツが原因で離婚に至ったのかな。
今思えば、小学校に上がる少し前から、両親ともに歯車が狂い始めていたのは幼心に感じていた。もう元には戻らない事も。分かっていたのかな。
なのに私は未だに新姓のままだ。
これは、推測するに、母親も私と同じような境遇で、苗字が変わる事で何か嫌な思い出でもあるのではと思っている。
それか離婚してないか?だろうな。
まぁ、その部分に関してはあまり関心はない。
今でも覚えてる。父親が母親に手をあげたのだ。
その時私は母親に泣きついた。
「どっちがいい?」みたいな事を聞かれた。
「母親がいい」と、そんなような事を言ったのだろう。
その日が決定的なものになった。
離婚(?)する前から、母親は働いていた。
万引きGメンだった。夕方のテレビで取り上げられる前からそうだった。
多分好きな仕事だったんだろうな。
こう書くと、母親はシングルマザーで一生懸命働いて娘を食わせるために…みたいな感動ストーリーになるかと思いきや、ところがどっこいなんですよ。
母親は、基本的に好きな事を好きなだけしてるような人。
家に帰ったらご飯は作るけど、基本的にその他何もしない。テレビを見たり好きな事をしていた。
陰気な感じはなくて、常に明るい人だった。
でも好きな事しかしない。
仕事の帰宅時間も21時過ぎたり23時近くだったり。
金もないのに、給料日は早々に好きなものにお金使って、月末にはお金が足りなくなるから、祖父母にお金を無心して。
たまにめんどくさくなるのかプライドが邪魔するのか、公共料金の支払いも滞納していた。
支払いはよく祖父母がしていた。
真っ暗な部屋に帰った事は何度もある。
ロウソク立ててやり過ごすなんてどこの古いドラマでやってんだって話。
人として本当にダメな母親だったから、祖父母も呆れながらサポートしていた。
ある日、学校でお裁縫を買いましょうって言うプリントを貰った。あぁ、これ母親に見繕ってもらわないとわかんないやつかなーと思ってた。
持って帰ってきたプリントを片手に、休日に寝こけてる母親を見て、ふと、こう思った。
「この人に頼ってたら、何も変わらない。このままだ。この先期待しても何も得られない。私が、考えて決めなければいけないんだ」
これをたった10歳の子供が考え至ったと言ったら。
世の中はなんて残酷なんだろうと今では思う。
自分のことですら他人事に考えしまう癖も、ここから始まったと思う。
プリントには、必要そうなものを考えて決めてお小遣いを入れた(多分祖父母からの小遣い)
それから、誰にも頼らなくなった。
「あれが欲しい」とかも言わなくなった。
「どこに行きたい」とかも言わなくなった。
だって期待してないから。
楽しくないから。あなたと行動して何が楽しいの?
調子のいい時だけ擦り寄るな。近づくな。お前なんかに私の何がわかる。
私の心がこじれるのは簡単だった。
私は、何か問題が起きた時は、人のせいにしない。というか出来ない。
自分で選択してきたものは、全部自分のせいだと思ってる。自分の責任の上でここにいるんだと。
「頼らなく」なると、「頼れなく」なる。
もう、本当に自然と。
こんなにこじれてると(笑)、さぞ打たれ弱いダメ人間になるかと思いきや、私は天性のタフ人間だったのでそうはならなかった。
自分の信念はまっすぐに、小さな不正も嫌い、人には基本的に地母神精神で接し、ある程度自己主張する。
親しい友達には「よくそんな境遇でまっすぐ育ったもんだw」と言われる。
普通は、不幸感漂わせ「聞いて聞いて〜私可哀想な子なの〜、ウフ」とかKY女子に大半はなるもんだけど。
誰かが、そういう人は神様だと言った。
神様は、永遠の孤独をなぞる存在だと思ってる。
タフ人間には、なるしかなかった。
例えるなら1本の棒が、どこにもぶつからないように立っているのと同じ。
どこにも傾倒しないからまっすぐに見える。
周りは磁石のN極。私もN極。反発し合ってた。
そうやって20年間、私は生きてきた。